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1985(昭和60)年

 創部10年という節目の年。
部員は100名を越えマンモスチームの仲間入りは果たしていたものの、タレント揃いの上級生は卒業した後で、1、2回生がレギュラーを狙う下克上が当たり前の年でもあった。

 春の練習試合では負けが続いた。また、新入生の鳥居が交通事故で亡くなり、言いようの無い悲しみがチームを包んだ。「鳥居君の分まで頑張るんや!」…部員全員が心に強く誓った。

 春の最終大阪体育大学戦では負けはしたものの、チームレベルが確実に上がってきていることを実感したのだった。
記録的な猛暑の夏を乗り切った、秋のリーグ戦。第3戦までは大阪体育大学、関西学院大学、京都大学と3連敗。第4戦の近畿大学戦では30対7でシーズン初勝利を手にした。

次の中京大学戦では逆転勝利。第6戦の同志社大学戦ではDB#13殿井が終盤の正念場でインターセプトし残留が決定。皆、歓喜の雄叫びをあげた。

 最終の立命館大学戦では10対28で初の勝ち越しを逃し、3勝4敗同率4位で85年シーズンを終えた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)



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