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1991(平成3)年

 前年、国立大学決戦と謂われた京都大学との最終戦での優勝決定戦で、チームはこの時期、上昇気流に乗っていた。

91年は「甲子園」を現実の目標として定める一方、前年の最終戦の大敗で、目標到達への最後の一歩の大きな壁を感じながらのスタートであった。

 春は、現在のRAVENSでは考えられないような試合数をこなし、連戦連勝。前年の結果が自信となり、皆もチームの勢いを感じていた。

 そして、秋のシーズンが開幕し、初戦の近畿大学戦は終始リードしながらも試合終了間際にまさかの逆転負け。続く関西学院大学にも敗れ、その後の試合ではチームの持っている実力を発揮できたように思えたものの、上位には接戦で負ける等、初戦敗退を最後まで引きずったシーズンとなった。

同じく初戦敗退の関西学院大学が最終的にはこの年の甲子園ボウルへ進んだことを考えると、「優勝を目指す」チームと「優勝する」チームとでは、組織力や選手の取り組み方がまだまだ違うレベルだと痛感したのであった。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)



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