89年秋のシーズン終了間もない頃、翌年4回生となる19人が集まり、「来年神戸大学が甲子園ボウルに出場するためには我々は何をすべきか」というテーマでミーティングが行われた。
コーチングスタッフの問題、練習方法の問題、オフェンス・ディフェンスそれぞれが抱える問題、学業との両立の問題…そのミーティングは深夜まで続いた。
その中で最も重要であると位置づけたのは、のちに神戸大学を飛躍的に躍進させる大きなきっかけとなった「意識改革」である。そのときに、妥協は一切許さない空気をチーム全体に浸透させ、張り詰めた空気の中で1年間すべてをフットボールにかけることを誓った。
9月9日、いよいよ秋のリーグ戦開幕。初戦の相手は当時現在ほど圧倒的な強さはなかったものの、確実に優勝を狙える実力を備えた立命館大学。結果は10対7と僅差の勝利であったが、オフェンスのバランスのとれた攻撃、自陣5ヤードでのピンチをインターセプトで切り抜けるディフェンスの活躍など、確実に手応えは感じていた。
この初戦勝利をきっかけに、神大旋風が巻き起こった。2戦目同志社大学戦は14対21と惜敗したが、その後関西学院大学に創部15年目にして初勝利を収め、続く近畿大学、関西大学、京都産業大学と勝利を重ね、11月24日の京都大学との最終戦を迎えることになった。
当時国立大決戦と謂われたその一戦は、試合会場が西宮球技場から急遽長居球技上に変更されるほど世間の注目、期待も高まっていた。しかし、残念ながら結果は0対45と完敗。
甲子園ボウルへの道はあと一歩のところで閉ざされてしまい、5勝2敗同率3位でシーズンを終えた。
(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)