「アメリカンフットボール部を創りたい、同志は4月26日、教養部・食堂前に集合」。この言葉から、RAVENSの歴史は始まる。
その年、入学したばかりの松田(充啓)は、アメフト部を創るべく、教養部(現国際文化学部)の全教室の黒板にこの言葉を書いて回った。
運命の4月26日。
食堂前には、一人、また一人と、誰も連れ立ってくる様子は無く、同志たちが集まってきた。はじめは同好会としてのスタートだった。
松田(純一)を除く全員が未経験者、見るからにアスリートという猛者がいるわけでもない、手探り状態での幕開け。ひたすらダミーを打ち、土にまみれ、ボールを追いかけ汗する毎日。そんな手作りのチームではあったが、純粋にフットボールを楽しむ気持ちとその喜びはRAVENSの歴史の中でも一番だったと言えるだろう。
創部されたばかりのチームにとって幸運だったことは、経験者の松田(純一)がチームに加わっていたこと。体育教官の綿貫先生が顧問となり、部室の確保、カメラ・ビデオ等の備品が使用できたこと。教養部のグランドが使用できたこと。そして、他校でも創部が相次いだ時期であったこと。こういった幸運を背景にRAVENSの土台は作られ、一橋大学OB長井啓氏のコーチ就任で花開き、創部2年、わずか20数名でのブロック優勝を果たした。
「RAVENS」の命名に際して念じたことは「甲子園へ」。その思いは以後のチームに絶えることなく伝わっている。
(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)