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1983(昭和58)年

 春シーズンに主将#75白石、攻撃ラインの要・#52竹村が怪我に襲われ、秋にはエースQB#11今中、WR#13南も怪我で戦線離脱することになった。

また、関東の有力校と練習試合ができると勇んで出かけた山中湖夏合宿は数十年ぶりという大雨に見舞われ、まともに練習ができないという不運が重なったシーズンであった。

 前半の大阪体育大学、関西学院大学、近畿大学、京都大学と、上位校からは勝利を得ることはできなかった。絶対に落とせない立命館大学には無念の引き分け。既に一勝をあげていった大阪市立大学との一戦は、ロースコアの展開となったが、相手の反撃に対し総力のディフェンスで凌ぎ切り、初勝利をあげた。

 関西大学との入れ替え戦は第4Q残り4分、得点差13点で攻撃は関西大学。じりじりと攻め込まれていた。立命館大学戦から復帰していた主将#75白石がハドルに入り、力づいた神戸大学ディフェンスは最後のロングパスをエンドゾーンでカット。
試合終了のホイッスルが鳴り、1部残留を決めて次代へ夢をつないだ。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)



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