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1979(昭和54)年

 当時の3回生が質・量ともにチームを支え、2回生以降も数多くのタレントが活躍するようになっていた79年シーズン。
チームのメンバー数も50名以上になり、2部リーグではトップクラスの実力を具え、1部リーグ昇格を狙えるポジションにあった。

 リーグ戦最大の関門は、前年1部から降格してきた甲南大学との最終第5戦。
最終戦でブロック優勝をかけて直接対決するまでの彼らの戦績は4勝0敗、平均スコアは得点61点、失点0点でデータ上はRAVENSを遥かに上回っていた。

当時はパソコンなどもなく、手書きのマトリクスと電卓を駆使して、敵の攻撃パターンを分析し、相手エースランナーのランをことごとく止め、結果、34対7の圧勝であった。

勢いにのったRAVENSは入れ替え戦出場権も手に入れ、万博競技場で行われた1部リーグ7位の大阪経済大学との入れ替え戦は見事勝利を得、1部リーグ昇格を果たした。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)



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