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2006(平成18)年

2006年度、一人一人が限界を定めることなく、練習・トレーニング・ミーティングに取組むという思いを込め、スローガンを「No Limit~限界なき取り組み~」と定め、田中主将(OL#65)を筆頭に、チーム一丸となってシーズンに挑んだ。

初戦関学戦、強敵ながら絶対に落とすことができない相手。
夏の合宿時から対策を練って挑んだ試合であった。
神戸の攻撃から始まった前半は、少しずつ前進するも、関学の強力Defによりなかなか得点できず、関学の先制点を許してしまう。
第2Q守備時、LB#47川村のインターセプトをきっかけにTD、FG成功と、続けて得点するが、その後得点することができず、関学Off陣を止めることができないまま初戦黒星となる。

続く立命戦、前半Defの粘りもあり、神戸7-10立命で試合を折り返す。
後半突入後最初の攻撃、QB#7多和からWR#24大園へのロングパスによりTD。
逆転に成功する。
しかし、その後の立命館の猛追により6TDを奪われ、白星をかざることはできなかった。

なんとしてでも勝利を得たい3戦目同志社戦。同志社に先制のTD、FGを許すも、Offが着実にゲインを重ねTD。神戸7-10同志社で前半を終える。
後半開始早々、RB#1中井のキックオフリターンTDにより逆転。
その後の同志社パントリターンTDにより同志社に逆転を許すが、Offの追加点、Defの粘りと、攻守がかみ合い再び逆転に成功。苦しい試合展開ながらシーズン初勝利を収めた。

残りの試合、一戦必勝を心がけ挑むが、残り4試合は2勝2敗となり、最終成績は3勝4敗5位にてシーズンを終える。

2005(平成17)年

主将DB#25矢野川、DL#57中西、LB#5清水と強力なプレイヤーが残った2005年度は目標を「関西制覇」と定め、春・夏と厳しいトレーニング、練習に耐え、シーズンに挑んだ。

そして迎えた初戦は三年連続同じ宿敵京都大学。試合開始早々、相手オフェンスのピッチミスを神大ディフェンスがリカバー。このチャンスをしっかりものにして、先制タッチダウン。その後も追加点を決め、神大リードで前半を折り返す。しかし後半は次々とタッチダウンを奪われ、逆転を許してしまい例年通りの嫌な空気が流れた。ところが試合残り6分から神大オフェンスが奇跡のドライブ。試合終了間際にタッチダウン&ツーポイントコンバージョンを見事に成功させ、8年ぶりの勝利をおさめた。

このまま勢いに乗りたいところだったが、続く関西大学、関西学院大学、立命館大学に3連敗を喫してしまう。その後も、悪い空気を断つことが出来ず、同志社大学、近畿大学にも敗れ、シーズン最終戦の龍谷大学戦は意地を見せ勝利をおさめることが出来たが、2勝5敗で
入れ替え戦へ突入。

入れ替え戦の相手は京都産業大学。絶対に負けられない試合。全てをかけて臨んだが、試合開始早々、オフェンス、ディフェンスともに歯車が噛み合わず、簡単に先制を許してしまう。その後も次々と点を奪われ、17対0で前半終了。会場には、嫌な空気が流れ、全員がそれに呑まれたかに見えたが、選手達だけは違った。

まさに全員が一丸となり、オフェンスはタッチダウンを重ね、ディフェンスは相手の攻撃を完全にシャットアウト。17対17の同点になり、試合残り2分。フィールド中央付近で相手のパスオフェンスをDL#57中西が激しいタックルでファンブルさせ神大が見事にリカバー。WR#88齋藤やQB#7多和らの活躍で、相手陣25ヤードまで攻め込むと、残り一秒でフィールドゴールを選択。これを見事にK#43三輪が決めて逆転し、一部残留を果たした。

2004(平成16)年


 前年度、4回生に多くのキープレーヤーを残し、周りからの期待も大きかったが、1勝6敗と7位に終わり入れ替え戦出場の屈辱を味わった。

多くのキープレーヤーを失った2004年度はさらに厳しいシーズンになるのではないかという不安とともに始まった。その不安の中で、個々が変わることによって「入れ替え戦出場のチーム」が「甲子園出場のチーム」に変わることを目指し、春・夏と厳しいトレーニング、練習に耐えた。

 そして迎えた初戦は昨年と同じ宿敵京都大学。しかし、用意してきたものの半分も出せずに敗れてしまった。続く立命館大学戦もDB#25矢野川の2インターセプトなどディフェンスが踏ん張り、前半リードしていたが結局逆転負けを喫した。

第3戦関西学院大学戦にも完敗し、迎えた第4戦近畿大学戦は、絶対に負けられない試合になったが、攻守ともに近畿大学を圧勝し初勝利を飾った。続く関西大学戦は敗れるが、第6戦の同志社大学戦はオフェンス・ディフェンスがうまく噛み合い20対0と完封勝ちを収めた。
 
最終戦の相手は1部に昇格してここまで2勝している龍谷大学。お互いに入れ替え戦出場の可能性がかかった試合であった。試合は予想以上に激しいものになり、両チームとも点を取られたら取り返すという攻防が続いた。

第4Q残り3分、逆転に成功した直後、K#43三輪のキックオフしたボールが相手のリターンチームに当たり、神戸大学が抑えて攻撃権が再びまわってくるというラッキーがあり、モメンタムがぐっとこちらに傾く。そのまま18対17の1点差の勝利となり自力で1部残留を決めた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)

2003(平成15)年


 4回生に多くのキープレーヤーを残し、周りからの期待も例年以上に大きなものがあった2003年。1日1日をすべてやりきって、甲子園へ行くことを4回生は誓い合った。

 迎えた秋季リーグ初戦。宝ヶ池球技場にて相手は宿敵京都大学であった。先制されながらも全く動じない神戸大学。そこから反撃を開始し、RB#39宮川やRB#33大崎のランプレーで逆転すると、それに呼応したLB#55岩田主将を中心とするディフェンスが京都大学を完全に封じ込めた。

しかし、試合の流れを徐々に変えたのは暑さであった。第3Qに入ると運動量は急激に落ち、第4Qには再逆転を許し、2年連続の初戦勝利はならなかった。この時からこの年のRAVENSの歯車は完全に狂ってしまった。

 最終戦の甲南大学戦の勝利以外は善戦するものの惜敗に終わってしまう。結局入れ替え戦出場という苦渋をなめることとなった。相手は日本代表のコーチを擁する大阪学院大学。

試合前のハドルでは感極まって涙するものがほとんどであった。言葉にできないプレッシャーの中、神戸大学RAVENSは圧倒的な1部と2部との力の違いを見せつけた。ディフェンスはファンブルをリカバー、何度もインターセプトを決め、相手に付け入る隙を与えない。オフェンスもQB#10江端の活躍により、立て続けにTDを奪う。スコアは42対0で完封し、1部残留を決めた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)

2002(平成14)年


 スターターが大幅に抜け、新チーム立ち上げ当初から2部降格が囁かれていた2002年シーズン。目標を「甲子園出場」とし、特に立命館大学との身体能力の差を痛感していたが、コンディショニングコーチを迎え、春夏を通じてファンダメンタル強化に取り組んだ。

その効果もあり、春シーズンで大きな故障者を出すこともなく、チーム全体の底上げをすることができた。

 万全の準備をして挑んだシーズン開幕戦の相手は近畿大学。第1Qの早い時間帯に先制される苦しい立ち上がりとなったが、第4QにRB#33大崎のTDランで逆転、9年ぶりの1部リーグ開幕戦勝利をあげた。第2戦からの対3強戦は地力の差を見せつけられ、1勝3敗で前半戦を折り返すこととなった。

 第5戦の同志社大学戦はDB#17吉村の3インターセプト、RB#33大崎の3TDと3回生が活躍し、完封勝利を収めた。しかし続く大阪産業大学戦でまさかの敗北。最終戦の甲南大学戦は拮抗した展開となったが、シーズンを通じて好調だったディフェンス陣の活躍から徐々に主導権を握ると、第4Q、RB#22坂東のTDで突き放し、勝利という最高の形でシーズンを終えた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)

2001(平成13)年


 前年度に試合経験を積んだメンバーが多く残り、特にラインでは近年稀にみる大型ラインが4回生を中心に揃い、「今年こそは3強を倒し、念願である甲子園ボウル出場をかなえることができるのではないか」と考え、迷わず目標は「甲子園」となった。

そのために、まず取り組んだのが「チーム改革」。アメフトだけでなく、スポーツの種目を問わず、トップに立ったことのある人・チームに話を聞いたり、見学したりして、どういったチーム作りが必要かを学んでいった。

その中には85年に阪神タイガースを優勝に導いた吉田義男氏、松虫中学陸上部顧問の原田隆史氏など著名人もいた。その中で目標に向けて最も自分達に足りないと感じたものは「最後までやりきる」という姿勢。どういった方法、考え方でも間違いはなく、最後まで自分達を信じ、信念を貫き通すことが最も大切だと学んだ。そしてチーム全員でその姿勢の徹底に努めた。

 初戦前日。チーム全員が心を1つにして、自分達の選んだ道を信じ、一歩を踏み出そうという意味の「一心一歩」という言葉の書かれたリストバンドが国本主将から全員に手渡された。しかし、初戦の甲南大学戦は攻守の歯車が噛み合わないまま時間だけが過ぎ、何もできずに試合が終了してしまった。

そのままずるずると3強との試合でも敗戦し、続く近畿大学戦にも敗れ、入れ替え戦が目の前にちらつく状況になってしまった。残り2戦。大阪産業大学戦に快勝し、最終戦の同志社大学戦では先制を許すものの、第4Q自陣からの攻撃をTDに結び付けて1点差、2点コンバージョンも成功させ逆転に成功、最後はインターセプトで勝負を決めた。

そして抽選の結果5位となり1部残留でシーズンを終えた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)

2000(平成12)年


 この年の選手数はとても少なく、特に4回生の人数はディフェンスが4人だけという未だ経験したことの無い状況であった。従来の運営形態を踏襲するのは難しく、新たな形態を模索していた。

その時に根源的なものとして追求していたのが「なぜフットボールをしているのか」「レイバンズらしさとはなにか」であった。そして議論の末、クラブが、フットボールが好きでやっているのであり、我々の意志、自主性こそがレイバンズであるという結論に至った。 そして「RAVENS」らしく、打倒3強の目標へ試行錯誤を繰り返しながら進んだ。メンタルトレーニングの導入など、新しい試みを取り入れもした。

 「勝つ」気持ちで臨んだ秋季リーグ初戦の甲南大学戦には先制しながらも敗退。続く京都大学戦にも前半リードをしながら後半逆転負け。立命館大学、関西学院大学には完敗と、厳しい現実をつきつけられた前半戦だった。

後半戦の大阪産業大学戦には完封勝利、同志社大学戦では獲得ヤードで2倍の差をつけられたものの競り勝ち、近畿大学戦には引き分け、シーズンを2勝4敗1分で終えた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)

1999(平成11)年


 OL#58宮地、LB#45川本を中心として前年度までに活躍した選手も残っていたが、その他の大量の主力が抜け、再建色濃厚だった。しかし、2回生には高校でのフットボール経験者も多く、新チーム発足当初から2回生に期待を寄せていた。

これらの状況を踏まえ、初戦関西学院大学戦を突破するため考えた方針は「練習量」。春も夏も全員で猛練習にはげみ、その結果基礎が大きく成長した。

 残暑の厳しい中、初戦を迎えた。試合は前半こそは善戦したものの、エースRB#40朴木を完璧にマークされてオフェンスは封じられる。一方、ディフェンスもDL#92矢島の活躍もあり、要所で押さえ込んでいたがロングゲインを許し、後半で大きく離されて大敗を喫した。

 第2戦の近畿大学戦は0対9とリードを許し前半を折り返すが、第3Q、DB#20葛本のインターセプトから始まったシリーズでQB#18上岡のTD。TFPもきっちり決め、2点差に。第4Q、近畿大学がFGを外した後、自陣20ヤードからRB#40朴木、FB#2仁科、QB#18上岡のランを中心としたロングドライブで敵陣ゴール前18ヤードまで前進し、K#9田中がきっちりFGを決めて、試合終了まで残り10秒で大逆転。そのまま10対9で逃げ切った。ベンチはもちろん、応援団や観客席でもぎ取った勝利だった。

 この後、立命館大学戦、京都大学戦ともに善戦するも敗退し、最終戦の関西大学戦に勝利したのみで2勝5敗でシーズンを終えた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)

1998(平成10)年


 前年、4位に入るなど躍進し、3強に分け入るチャンスと目論んで挑んだ98年度のシーズン。
 秋のリーグ戦では、初戦の近畿大学戦で大勝して波に乗り、続く3強を打ち負かす、という計画だったが、怪我も少なく、満を持して臨んだ近畿大学戦では、RB#40朴木のTDランやDB#29平野のインターセプトなどで前半大量リードを奪いながら、後半にディフェンスがばてて逆転負けを喫した。これがシーズン最後まで尾を引くことになった。

 第2戦目の京都大学戦では主力の怪我などで大敗。続く立命館大学戦では完封され、関西学院大学戦も力負けと、3強の壁は予想よりも遥かに高く、あっという間に過ぎ去った。

 照準を1部残留に切り替えて望んだ同志社大学戦。95年から97年にかけて入れ替え戦では3年連続で対戦し、春にはキッキングのミスで失点した因縁の相手である。5点リードで迎えた第4Q、オフェンスが前に進まず、自陣でのディフェンスが続く苦しい展開となった。だが、最後は最終学年でDEにコンバートされて活躍した#69加藤が見事にQBサックを決めて勝利した。

 最終戦の大阪産業大学戦では、入れ替え戦を賭けた捨て身の勝負となった。この大事な一戦でオフェンス・ディフェンスが実力を発揮。シーズンで最も安心できる戦いぶりで勝利し、98年度シーズンを終えた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)

1997(平成9)年


 1部リーグで「一発やったろう!」という野望を抱き、我々がチームに求めたものは爆発力だった。3強に勝つには一筋縄ではいかない。だからこそ、失敗を承知でトレーニングや練習に新メニューを加えたり、オフェンス、ディフェンス、キッキングに新しい体系やサインを取り入れたりと、これまでにない取り組みを試みた。

失敗を恐れない、前向き、かつ大胆なチームを目指した。2部経験長かった分、常に挑戦者という気持ちを持ち、それまでくすぶっていた鬱憤を晴らそうとウズウズしていたので、チームがまとまるのは簡単なように思えた。

しかし、春の練習や試合では罵声や怒号が飛び交い、結果として反省点しか出てこない。思うようにプレーできないもどかしさ、先輩達が託した想い…目には見えない様々なプレッシャーが襲い掛かった。その重圧に押しつぶされそうになりながらも、現実の世界から眼をそらすことはなかった。

 現実の世界には、同じ「志」で、立てなくなるまで走り続け、声が出なくなるまで叫び続け、身も心もボロボロになりながらも不屈の闘志で前進し続ける仲間の姿があった。それこそが爆発力のあるチームの原動力だった。

立命館大学戦に敗北を喫し、迎えた京都大学戦で、その不屈の闘志は実を結んだ。オフェンスの多彩なプレー、7度にわたるディフェンスのターンオーバー。京都大学に勝利した瞬間、爆発力のあるチームがそこにあった。

 1部に復帰して1年目の97年シーズンは、3勝4敗同率4位で幕を閉じた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)


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