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2013(平成25)年

「Now or Never -歴史を変える- 」というスローガンのもと、数々の取り組みを行ってきた2013年度。
春シーズンはわずか一勝という結果に終わり、負け癖が付いている中迎えた秋シーズン。
初戦の相手は京都大学。開幕戦勝利を目指し春からこの一戦を見据えてきたが、前半から3度のTDを許してしまう。しかしWR#81麻生の60yrdsTD、LB#52久保の二連続QBサックなどで巻き返す。粘りに粘ったディフェンスが京大のRBの独走ランをG前1yrdで抑えるも、ここで試合終了となった(9-17)。
その後連敗が続き、絶対負けられないと挑んだ第6節目の大阪教育大戦。ギャンブルで先制点を許すも、神大オフェンスでRB#27青島のランでTD。そしてG前まで攻められるもDB#1石井がインターセプト。その後もRB#27青島のランを中心にゲインを重ねTDし、ゴール前5yrdsからWR#81麻生がTD。ようやく白星をあげることができた。(20-9)
負ければ入替戦と覚悟して挑んだ近大戦であったが、力及ばす四年振りの入替戦出場が確定する。(14-35)
入替戦の相手は大阪府立大学。チームの誇りをかけて挑む。ファーストプレイで見事RB#27青島が一発TD。OD共に終始神大のペースを維持し、WR#19山野へのパスでTDし、ディフェンスもDL#55嶋崎のロスタックルなどゲインを許さない。最後はRB#28野田がTDを奪い、その後も2TDを追加。見事完封勝利を収めた。(42-0)
春秋通算3勝で、関西リーグ一部7位。17年間過ごしてきた一部リーグの座を守り、一部残留を果たすも戦績的には悔しさの残るシーズンとなった。

2012(平成24)年

「全ては勝つために」をスローガンとして掲げ、勝ちにこだわることをテーマとして取り組んだ2012年度シーズン。主将のDL#92白石、副将のQB#7林、WR/K#19塩見、LB#8長渕をはじめ、経験豊富なメンバーが揃い、チャンスの年であった。

春シーズンの立命館大学戦では強豪立命館大学相手にタッチダウンを1回に抑え、要所でのパスをエースQB林が正確に通し、見事勝利した。その後秋シーズン初戦の関西大学戦に向け、夏も厳しい練習を重ねたが、関西大学戦に惨敗。そして迎えた京都大学戦。同じ国立大学ということもあり、京都大学戦にかける思いは強かった。前半終了時点で7-14で負けていた。しかしここで気持ちを切らさず第4Qでタッチダウン後2ポイントコンバージョンを成功させ、15-14と逆転に成功。しかしこのままでは終わらなかった。試合終了まであと6秒でフィールドゴールを決められ惜しくも京都大学に敗れた。

最終成績は3勝4敗で5位という結果を残した秋シーズンとなった。Aクラス入りを果たしてレイバンズの歴史を塗り替えることこそできなかったが、取り組みが実を結び、思い通りの試合運びができるチームの基盤を作ることのできたシーズンであった。

(2013年度イヤーブック、40周年誌より)

2011(平成23)年

「守るな、攻めろ」をスローガンに掲げた2011年度。シーズンで勝利をあげるためにチーム方針・コーチ体制・トレーニング体制を改革し、チーム全員で勝利を目指した。
春シーズンは大阪教育大学戦、横浜国立大学戦、桃山学院大学戦、龍谷大学戦と4Qでの逆転負けが目立つシーズンであった。
悔しさをバネにひたすら練習とトレーニングを重ねフィジカルアップし迎えた秋シーズン。開幕4連戦を喫し、なかなか勝利を掴めず苦しい時期が続いた。5戦目の同志社大学戦では3Q終了時点で10-10と両チーム拮抗するも、4QでRB#26大仲、QB#7林、RB#29種がTDを決め、快勝を果たし、シーズン初勝利を収めた。6戦目の甲南大学戦では2Qで先制TDを奪われるが、3QでFG成功。4Q残り13秒でRB#29種のTD成功により劇的な逆転勝利を果たすことができた。この流れで勝利したい7戦目龍谷大学戦であったが、力及ばす惨敗。
2勝5敗、関西リーグ6位という結果に終わった。

2010(平成22)年

昨年に比べ4回生選手が少なく、スターターの約半分が2回生という状況で、周囲からは「二部降格の危機」とも囁かれた2010年度。主将DL#75庭山のもと、「常に考え今に懸ける」をスローガンに掲げ、シーズンが始動した。今なお続くMIP投票は、観戦してくださる皆様により深く、より楽しんでいただき、選手一人一人を見ていただけたらという思いで2010年度から開始された。

春シーズンは二部リーグ所属の大阪大学に引き分け、龍谷大学に敗戦、定期戦の横浜国立大学戦は16年ぶりに敗戦と、なかなか思うような試合が出来なかった。

心機一転迎えた秋シーズン。しかし、初戦の関西学院大学戦、二戦目の関西大学戦で完封負け。次こそはと挑んだ同志社大学戦では、第1Q、RB#22木内を筆頭としたRB陣の活躍により先制点を奪う。続く第2Qも2TDを奪うと、その後もLB#42前川のインターセプトで完全に流れを神大に持ってくる。後半に突入しても勢いは止まらず、ディフェンスでもDL#92白石のQBサックなどで同志社にゲインを許さない。試合終了間際、K#82三宅がFGを成功させ3点追加し、31-0と完封で秋シーズン初の勝利となった。

2勝3敗で迎えた第7節、京都大学戦。チームの順位を左右する、なんとしても勝ちたい試合だった。前半の得点はFGのみで3-17と点差が開いてしまう。逆転必須の後半、神大はパスを中心に一気に敵陣まで攻め込むと、TDを奪うがTFPを外し6点追加。試合時間残り約7分にはWR#11東野が16ydsのパスをキャッチしTD。しかし最後の力を振り絞り挑戦した2ポイントコンバージョンに失敗し、15-17と惜敗した。

最終戦の近畿大学戦は、試合時間残り17秒で近大にTDを許してしまうも、21-7で最後に白星を追加し、3勝4敗、単独5位で秋シーズンを締めくくった。

(2011度イヤーブック、40周年誌より)

2009(平成21)年

昨年のスターターが多く残り、大園、東内、小澤といったタレントが健在の09年は、周囲からの期待も多く、初の関西制覇も現実的な目標に感じられた。

スローガンをBreak through~勝負の年~とし、言葉通り今年に全てをかけ春シーズン、苦しい合宿を乗り越え初戦の甲南大学戦に挑んだ。

甲南大学は春に対戦して負けている相手であり、苦戦は覚悟していた。試合は神戸のリターンから始まり、1stシリーズからテンポの良い攻撃を見せて先制TD奪った。
その後はお互いに決め手がないまま第2Qへ。ここで神大はパントリターンでセーフティを許し、甲南大は流れを掴んだように追加TDを奪った。神大は直後のシリーズでFGを決めるが、その後は両チーム得点を奪えずに前半が終了した。後半は開始早々FGを決められ、第4Q始めにもTDされてしまう。10-18の苦しい展開の中オフェンスが粘りを見せてTDを奪い、さらにその直後のシリーズに追加TDを決めた。勝利が目前に迫っていたがDefが粘りを見せられずラスト数秒でFGを決められ引き分けで試合終了となった。

優勝と言う目標を達成するためには絶対勝たなければいけない試合であったが引き分けというもはや負けに等しい出だしとなってしまった。その後関西大学と接戦するも負け、同志社にはまさかの大敗を喫した。近畿大学戦ではこれまでの鬱憤を晴らすかのように攻守が噛み合い大勝するも、関西学院大学、立命館大学と連敗し、優勝どころか入れ替え戦の一歩手前という苦しい状況となった。

京都大学戦では入れ替え戦回避を賭けてオフェンス、ディフェンスともに今までの作戦や取り組みなどあらゆることを改善し、万全の準備をして試合に挑んだ。ロースコアの試合となったが結局9-14で負け、チームは入れ替え戦行きとなった。

入れ替え戦、負けたら2部という不安と責任で押しつぶされそうな精神状態の中とにかくできること全てを1ヶ月間やり続けた。試合は序盤、なかなかオフェンスが機能せず、ディフェンスが耐え続ける展開となったが、徐々にオフェンスが調子を取り戻しTD。ディフェンスも1TDを許したがその後は相手オフェンスをシャットアウトし21-7で勝利し1部残留を果たした。

苦しいシーズンでありチームとして上手くいくことは少なかったが最後は勝利を飾ることができた。しかし、優勝を目指したにもかかわらず結果は7位であった。

2008(平成20)年

4回生は、2回生時より出場していたメンバーが多く、3回生には1回生時より試合に出場していたメンバーもおり、周囲の期待も多く、スローガンに「今やる、自分がやる~革新~」を掲げ今まで通りにはないさまざまな取り組みを展開し、春山主将のもとシーズンに挑んだ。

緒戦は未だ白星をかざったことのない因縁の相手、関西大学。
神戸オフェンスで試合開始もファーストプレーでいきなりインターセプトされる。
ディフェンスは粘りを見せるもTDを奪われる。その後FGを決めるも、そのまま前半終了。
後半に入りオフェンスはファンブルを繰り返し、攻撃権を奪われるが、ディフェンスが粘りを見せTDを許さない。するとオフェンスにようやくエンジンがかかり、立て続けにTDを奪い逆転、終了間際にダメ押しのTDで突き放し、ディフェンスもきっちり守り切り試合終了。
因縁の関西大学に9年ぶりに勝利し、最高の幕開けを飾った。

波に乗りたいところだったが、京都大学、立命館大学、関西学院大学に3連敗を喫する。
初戦京都大学を破ったものの入れ替え戦出場となった2005年度の二の舞になるのでは?という空気がチームには流れた。
しかし、この一年「革新」を掲げ、取り組んできた自分たちを信じ、同志社大学に挑んだ。

ここでなんとか2勝目を挙げ、次節甲南大学にも勝利し3勝3敗の五分に戻す。

15年ぶりの勝ち越しをかけた近畿大学戦、過去3年間負け続けている相手だけにやれること全てをやりつくし、試合に臨む。
この一年の集大成とばかりに序盤からディフェンス、オフェンスがしっかりかみ合い近畿大学を終始圧倒。
そのまま、35-7で快勝し、15年ぶり勝ち越し、18年ぶりの単独3位という結果で「革新」を成し遂げた。

2006(平成18)年

2006年度、一人一人が限界を定めることなく、練習・トレーニング・ミーティングに取組むという思いを込め、スローガンを「No Limit~限界なき取り組み~」と定め、田中主将(OL#65)を筆頭に、チーム一丸となってシーズンに挑んだ。

初戦関学戦、強敵ながら絶対に落とすことができない相手。
夏の合宿時から対策を練って挑んだ試合であった。
神戸の攻撃から始まった前半は、少しずつ前進するも、関学の強力Defによりなかなか得点できず、関学の先制点を許してしまう。
第2Q守備時、LB#47川村のインターセプトをきっかけにTD、FG成功と、続けて得点するが、その後得点することができず、関学Off陣を止めることができないまま初戦黒星となる。

続く立命戦、前半Defの粘りもあり、神戸7-10立命で試合を折り返す。
後半突入後最初の攻撃、QB#7多和からWR#24大園へのロングパスによりTD。
逆転に成功する。
しかし、その後の立命館の猛追により6TDを奪われ、白星をかざることはできなかった。

なんとしてでも勝利を得たい3戦目同志社戦。同志社に先制のTD、FGを許すも、Offが着実にゲインを重ねTD。神戸7-10同志社で前半を終える。
後半開始早々、RB#1中井のキックオフリターンTDにより逆転。
その後の同志社パントリターンTDにより同志社に逆転を許すが、Offの追加点、Defの粘りと、攻守がかみ合い再び逆転に成功。苦しい試合展開ながらシーズン初勝利を収めた。

残りの試合、一戦必勝を心がけ挑むが、残り4試合は2勝2敗となり、最終成績は3勝4敗5位にてシーズンを終える。

2005(平成17)年

主将DB#25矢野川、DL#57中西、LB#5清水と強力なプレイヤーが残った2005年度は目標を「関西制覇」と定め、春・夏と厳しいトレーニング、練習に耐え、シーズンに挑んだ。

そして迎えた初戦は三年連続同じ宿敵京都大学。試合開始早々、相手オフェンスのピッチミスを神大ディフェンスがリカバー。このチャンスをしっかりものにして、先制タッチダウン。その後も追加点を決め、神大リードで前半を折り返す。しかし後半は次々とタッチダウンを奪われ、逆転を許してしまい例年通りの嫌な空気が流れた。ところが試合残り6分から神大オフェンスが奇跡のドライブ。試合終了間際にタッチダウン&ツーポイントコンバージョンを見事に成功させ、8年ぶりの勝利をおさめた。

このまま勢いに乗りたいところだったが、続く関西大学、関西学院大学、立命館大学に3連敗を喫してしまう。その後も、悪い空気を断つことが出来ず、同志社大学、近畿大学にも敗れ、シーズン最終戦の龍谷大学戦は意地を見せ勝利をおさめることが出来たが、2勝5敗で
入れ替え戦へ突入。

入れ替え戦の相手は京都産業大学。絶対に負けられない試合。全てをかけて臨んだが、試合開始早々、オフェンス、ディフェンスともに歯車が噛み合わず、簡単に先制を許してしまう。その後も次々と点を奪われ、17対0で前半終了。会場には、嫌な空気が流れ、全員がそれに呑まれたかに見えたが、選手達だけは違った。

まさに全員が一丸となり、オフェンスはタッチダウンを重ね、ディフェンスは相手の攻撃を完全にシャットアウト。17対17の同点になり、試合残り2分。フィールド中央付近で相手のパスオフェンスをDL#57中西が激しいタックルでファンブルさせ神大が見事にリカバー。WR#88齋藤やQB#7多和らの活躍で、相手陣25ヤードまで攻め込むと、残り一秒でフィールドゴールを選択。これを見事にK#43三輪が決めて逆転し、一部残留を果たした。

2004(平成16)年


 前年度、4回生に多くのキープレーヤーを残し、周りからの期待も大きかったが、1勝6敗と7位に終わり入れ替え戦出場の屈辱を味わった。

多くのキープレーヤーを失った2004年度はさらに厳しいシーズンになるのではないかという不安とともに始まった。その不安の中で、個々が変わることによって「入れ替え戦出場のチーム」が「甲子園出場のチーム」に変わることを目指し、春・夏と厳しいトレーニング、練習に耐えた。

 そして迎えた初戦は昨年と同じ宿敵京都大学。しかし、用意してきたものの半分も出せずに敗れてしまった。続く立命館大学戦もDB#25矢野川の2インターセプトなどディフェンスが踏ん張り、前半リードしていたが結局逆転負けを喫した。

第3戦関西学院大学戦にも完敗し、迎えた第4戦近畿大学戦は、絶対に負けられない試合になったが、攻守ともに近畿大学を圧勝し初勝利を飾った。続く関西大学戦は敗れるが、第6戦の同志社大学戦はオフェンス・ディフェンスがうまく噛み合い20対0と完封勝ちを収めた。
 
最終戦の相手は1部に昇格してここまで2勝している龍谷大学。お互いに入れ替え戦出場の可能性がかかった試合であった。試合は予想以上に激しいものになり、両チームとも点を取られたら取り返すという攻防が続いた。

第4Q残り3分、逆転に成功した直後、K#43三輪のキックオフしたボールが相手のリターンチームに当たり、神戸大学が抑えて攻撃権が再びまわってくるというラッキーがあり、モメンタムがぐっとこちらに傾く。そのまま18対17の1点差の勝利となり自力で1部残留を決めた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)

2003(平成15)年


 4回生に多くのキープレーヤーを残し、周りからの期待も例年以上に大きなものがあった2003年。1日1日をすべてやりきって、甲子園へ行くことを4回生は誓い合った。

 迎えた秋季リーグ初戦。宝ヶ池球技場にて相手は宿敵京都大学であった。先制されながらも全く動じない神戸大学。そこから反撃を開始し、RB#39宮川やRB#33大崎のランプレーで逆転すると、それに呼応したLB#55岩田主将を中心とするディフェンスが京都大学を完全に封じ込めた。

しかし、試合の流れを徐々に変えたのは暑さであった。第3Qに入ると運動量は急激に落ち、第4Qには再逆転を許し、2年連続の初戦勝利はならなかった。この時からこの年のRAVENSの歯車は完全に狂ってしまった。

 最終戦の甲南大学戦の勝利以外は善戦するものの惜敗に終わってしまう。結局入れ替え戦出場という苦渋をなめることとなった。相手は日本代表のコーチを擁する大阪学院大学。

試合前のハドルでは感極まって涙するものがほとんどであった。言葉にできないプレッシャーの中、神戸大学RAVENSは圧倒的な1部と2部との力の違いを見せつけた。ディフェンスはファンブルをリカバー、何度もインターセプトを決め、相手に付け入る隙を与えない。オフェンスもQB#10江端の活躍により、立て続けにTDを奪う。スコアは42対0で完封し、1部残留を決めた。

(レイバンズ30周年記念誌より抜粋)


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