’05卒 家入OB
2004年度。チームは旧4回生が引退し、キープレーヤーが多く抜けてしまったため、2004年度はさらに厳しいシーズンとなるのではないかとの周りの声がある中、「周囲を見返してやろうと思っていた」と、当時の心境を話す。3勝4敗の同率4位という結果を残した。
現在でもレイバンズの練習に足を運び、後輩たちに熱心に指導する。
経営学部経営学科卒。現役時代はQB。1回生時に2部落ちの屈辱を味わうも、3年時に同志社との接戦を制し1部復帰。
1部復帰2戦目で京都大学を7年ぶりに下した。
卒業後、株式会社ワールドに就職。
またアメリカンフットボールではX1アズワンブラックイーグルスで選手引退後、ヘッドコーチとして3シーズン務める。
昨年7年ぶりにタッチフットで選手復帰。秋春2期連続で全国大会出場。
(現役の方へのメッセージ)
学生時代諸先輩方から学んだことで今でも大事に守っていることがあります。
日々の努力が成果に結びつくのは、目標に対して「より具体化された準備」が必要だということです。
課題を整理し、解決するために練習メニューやスケジュールに実際に反映させ、最後までやり抜く。この徹底度の差がチームの力となります。
この教訓を社会人10年過ぎた今でも大事に持っています。
秋には実力を十分に発揮し、チーム目標を実現されることを、東京から願って楽しみにしています。
(タッチフットについて)
タッチフットは6対6でタックルなしで行うルールで、アメフトで言えばラッシュつきのパススケルトンという感じでしょうか?アメフトと違いラインもパスを取れるため、全く別物のスポーツのような感じです。
入部当時バトルアルマジローズは早大OBを中心に運営されている古豪チームで、近年は全国大会で勝てなかったり、あと一歩で涙をのむという事が続いていたようです。
同期でチャレンジャーズでやっていたRB中島友哉や、後輩のDB葛本・WR古賀(00年卒)も加入してくれました。
昨年から他大学のフットボール経験者が続々入部、既存メンバーとうまく融合し、昨年冬は全国3位(千葉マリンスタジアム)、今年春は全国5位(アミノバイタルフィールド)と目標の日本一までもう一歩というところまできています。
今でもアメフト未経験者がチームの中心となっており、未経験者でも十分活躍できるスポーツですが、当然アメフト経験者は即戦力として活躍のチャンスがあります。何といっても日本一を現実可能な目標として目指せることは、なかなか一生のうちで機会がなく、やり甲斐があります。
タッチフット界にぜひとも参戦をお待ちしております。
バトルアルマジローズ公式ブログ
http://ameblo.jp/battle-armadillos/
#D
‘02年卒 伊藤OB
「『自分に勝てれば一部リーグで通用する』と後輩に言えるように、
また後輩がそう思えるように、常に目標となる存在であろうと
意識していました」
(レイバンズ便り5月号より)
4回生時の西宮ボウル、記憶に残るパントリターンタッチダウン。
関西シニアオールスターでメキシコ遠征も。
有言実行。
<現役へのメッセージ>
やり方に納得いかなかったり、全力を出しきれていないと
後で後悔しますよ。レイバンズ人生を最高の思い出にできるかどうかは
自分次第。
’07年卒 畑中OB
伝説の主務。
大園OBを高校3年時に、一年かけてマンツーフォローし合格させた話は有名。
現在のマネージャー・主務からも「畑中伝説」を数多く聞く。
水道筋商店街などへ行っても、「畑中くんの時にね・・・」
と言っていただけるレイバンズの誇り。
就職後も時々メールをくれ、「わからんことあったらいつでも聞いてきて」
と、マネージャーたちをフォローしてくれる。
#D
横国大戦の次の日、オービックシーガルズ様と合同練習をしました。
矢野川OBはシーガルズのDB。
大阪で仕事をし、金曜の夜から東京へ。
土日練習してまた大阪へ。
超多忙なスケジュールは、選手にとって、時間管理・モチベーション管理の
良いお手本になるはず。もちろんプレーも。
そして、母校を思うハートも。
5日は母校の練習にも参加してくれた様子。
ツイッターの腹筋100万プロジェクト、見てる方もついやりたくなる企画。
矢野川OBの「げんブログ」↓
http://ameblo.jp/gen24/
#D
’89年卒 岩澤OB
その後3年続く、歴代でもっとも多い豊中高出身主将の一人。
一年入部早々、そのドスの効いた声で、「こんな練習で優勝できるんですかぁ」
と言った伝説は超有名。厳しさの裏にあるチーム愛、文字通り親分肌。
超スピードDEで、4回生時、トーソーボウル最優秀選手受賞ハワイへ。
#D
2010年のオフェンスコーチを担当するビフこと田中C(94卒)。 (more…)
今年からヘッドコーチに就任した萬谷HC(92卒)。
現役時代はRB。
試合でのタッチダウンシーンは、何度もテレビで映され、
多くのOBの記憶に残っていることでしょう。
人一倍練習するその姿勢に、同期はもとより
先輩後輩も多いに刺激を受けた。人にも厳しいけど、自分にもっと厳しい。
丸紅に就職、12年間勤務した後、退職。
大阪の松屋町で家業「萬星衛生材料㈱」を継ぎながら、
新たにベビー・キッズ向け「木のおもちゃ、子供靴、雑貨のお店
萬(有限会社萬)」を展開。
(http://www.rakuten.co.jp/manboshi/)
学生向けに「ビジョン設計」講座を開講してもらったり、
王子スタジアムでの飲食店の出店を協力してもらってます。
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工学部機械工学科卒、同大学院に進む。
現役時代はLB。レイバンズのスポッターシステムの基礎を作り上げる。
大学院卒業後、三和総合研究所(現三菱UFJリサーチ&コンサルティング)に就職。
マーケティング・統計解析を専門とし、全社戦略・事業戦略・新規事業の立案及び
実行を支援。10年間で関わった案件は100件以上。
2007年に起業、株式会社インサイト設立
http://www.insweb.jp/index.html
大手企業からベンチャー企業まで幅広くサポート。
現在は、そのノウハウを社会事業や障害者就労へ展開すべく、奮闘中。
(社)日本マーケティング協会マイスター、(特)edge常務理事をはじめ、
多数の役職を兼務。
詳しい紹介はこちらでも↓
http://www.npo-kigyo.net/aile/aile_bkno/aile64.html
現在、KOBECLUB構想の足がかりとして、
発達障害者向けアメフトスクールを立案中。
(厚生労働省に申請提案中)
99年卒、和田OBの胡麻屋さんです。
震災の年に入学して2部の時代を2年経験、
3,4回生は1部で戦えた、という「2つの時代」を生きれたことが、
今とてもいい経験となっていますとのこと。
今でも、アメフトの試合で一番おもしろいのは、
甲子園ボウルではなく「入替戦」だそうだ。
卒業後、産経新聞入社。
7年間、事件や裁判、スポーツ、政治などいろいろな分野の
記者、またデザイン担当として勤務後、
創業120余年の家業のごまやさん「和田萬」を継ぐため退社。
現在大阪の街中でごまと格闘中。
今年は農業分野にも進出。奈良で農作業もやりますとのこと。
http://www.wadaman.com/